二、表現の自由の内容
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二、表現の自由の内容
1 報道の自由・取材の自由 |
表現の自由は、演説や新聞、雑誌やラジオ、テレビはもちろん、絵画や写真、音楽や芝居等様々なものの表現する自由を保障しています。
しかしこれまでに、表現の自由として保障されるかどうか争われたものに、報道の自由、取材の自由、があります。
報道の自由とは、一般に報道機関が印刷メディアないし電波メディアを通じて国民に事実を伝達する自由をいいます。
取材の自由とは報道の前提としての一種の情報収集活動をする自由をいいます。
報道の自由:一般に報道機関が印刷メディアないし電波メディアを通じて国民に事実を伝達する自由のこと。 |
取材の自由とは報道の前提としての一種の情報収集活動をする自由。 |
判例では、事実の報道の自由は憲法21条の表現の自由の保障の下にある、としました。
報道のための取材の自由も憲法21条の精神に照らし十分尊重に値する、としました。
博多駅テレビフィルム提出命令事件がその判例です。
博多駅テレビフィルム提出命令事件(最大決昭44・11・26) |
裁判では公正な裁判の実現のために、報道機関の取材によって得た証拠が必要となる場合があります(第11章 人身の自由 一、基本原則 二、被疑者の権利 三、被告人の権利 参照)。
博多駅テレビフィルム提出命令事件では、事件の様子を収めたフィルムは重要な証拠でした。
放送社はフィルムを提出すると、将来取材をするときに「何かあったらこの放送社はすぐ裁判所にフィルムを出すんだ」、と人々に思われてしまう、将来取材がしにくくなってしまう、と考えました。
そこでフィルムの提出を拒否しました。放送社は将来の取材の自由を主張したのです。
判例では事実の報道の自由は、表現の自由で保障される、としました。
しかし、報道のための取材の自由は十分に尊重される、としました。
つまり、取材の自由については、表現の自由で保障されるとまではいえない、ということです。
公正な裁判の実現のため、将来の取材の自由が妨げられる程度の不利益を受けるのは受忍せよ、としました。
受忍とはガマンという意味です。
法廷における取材の自由は保障されるかどうか、も争われました。
レペタ法廷メモ事件では、法廷においてメモをとる自由も、憲法21条1項の精神に照らして尊重されるべきだ、としました。
レペタ法廷メモ事件(最大判平1・3・8) |
米国弁護士レペタ氏は、日本の経済法の研究に従事していました。レペタ氏は、傍聴席でのメモ採取を行なおうとしました。
レペタ氏は、7回にわたってメモ採取の許可申請をしましたが、認められませんでした。
そこでレペタ氏は、国家賠償請求訴訟を提起しました。1審・2審では、レペタ氏の請求は棄却されました。レペタ氏は上告しました。
レペタ氏の上告は棄却され、レペタ氏の敗訴となりました。
しかし、判例は、メモをとる自由も、憲法21条1項の精神に照らして尊重されるべきである、と判事しました。
ちなみにこの後、全国の裁判所にメモを許可する通知が出されました。
取材の自由は、政府機関との関係でも問題となりました。
国家公務員法は、公務員が「職務上知ることのできた秘密」を漏らすことを禁じ、公務員が秘密を漏らすことを「そそのかし」した者を処罰の対象としています。
そこで、政府機関への取材活動と、「そそのかし」罪との関係が問題となった事件が外務省秘密漏洩事件です。
外務省秘密漏洩事件(最大決昭53・5・31) |
外務省秘密漏洩事件では、報道機関の国政に関する取材行為は、真に報道の目的があり相当な手段であれば、正当な業務行為といえる、としました。
2 性表現・名誉毀損的表現 |
表現の自由は保障されていますが、性表現や名誉毀損的な表現も、保障されるのでしょうか。
判例は、性表現や名誉毀損的な表現も表現の自由に含まれる、と解しています。
しかし、これらも無制限に保障されるわけではありません。
もし無制限に保障されてしまうと、露骨な性表現がはびこる社会になってしまいます。
名誉を毀損する表現によって、人権が侵害されてしまうかもしれません。
無制限に保障されてしまうと、露骨な性表現がはびこる社会になってしまうおそれがある。 |
無制限に保障されてしまうと、名誉を毀損する表現によって、人権を侵害するおそれがある。 |
性表現の規制については、刑法175条がわいせつ物頒布罪を規定しています。
刑法175条はわいせつ物を頒布売買等した者に懲役や罰金を科すことを規定しています。
判例はこの刑法175条の性表現の規制を合憲としています。
チャタレイ事件(最判昭32・3・13) |
チャタレイ事件ではどのようなものがわいせつとなるのか、について定義しました。
最高裁は、わいせつとは「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」と定義したしました。
加えて「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持する」ため、刑法175条は合憲である、としました。
名誉毀損的表現も表現の自由で保障されます。
なぜなら、名誉毀損とも思える表現のなかで、社会の資質を世に問う表現には価値があるからです。
しかし名誉も尊重すべき人権です。侵害されてはなりません。そこで、表現の自由と名誉の保護との間の調整が必要となります。
名誉毀損的表現も表現の自由で保障される。 名誉毀損とも思える表現のなかで、社会の資質を世に問う表現には価値がある。 |
そこで、両者を調整するために、名誉毀損罪を定めた刑法230条の2の規定によって表現の自由と名誉の保護との間の調整を図っています。
刑法230条の2の規定では、その表現が名誉毀損的な表現であっても
①公共の利害に関する事実であって、②公益目的で、③内容が真実であると証明されれば
処罰しない、と規定しています。
しかし、③の真実の証明が難しいです。
例えば、正義感あふれる新聞社が、ある公務員が賄賂を受け取っていることをスクープ記事にしました。
しかし、贈収賄罪は被害者がいないという特徴があります。
被害者がいないため証拠が残りにくいのです。
③の真実の証明が難しくなり、新聞社は名誉毀損罪を問われてしまうおそれがあります。
贈収賄罪を暴こうとした新聞社がいた場合、真実の証明が難しいため、名誉毀損罪に問われかねない。 |
そこで夕刊和歌山時事事件では、確実な資料、根拠に照らし、相当な理由のもとに真実であると確信して書いたものであれば、真実の証明がなくても処罰しない、としました。
夕刊和歌山時事事件(最大判昭44・6・25) |
3 営利的言論の自由 |
利益目的または事業目的でサービスや製品を広告する営利的言論も、表現の自由で保障されると解されています。
表現の自由が本来、思想や信仰、意見を表明するものだったことを考えれば、営利的言論は保障されないようにも思えます。
しかし、消費者である国民にとって、広告情報を得ることはとても重要であるという理由から、営利的言論も保障されています。
営利的言論も、表現の自由で保障される。 |
第2部 第9章 精神的自由権2-表現の自由- 二、表現の自由の内容 おしまい
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