第2部 第9章 精神的自由権2-表現の自由- 三、表現の自由の限界


一、表現の自由の意味

二、表現の自由の内容

三、表現の自由の限界

四、集会・結社の自由、通信の秘密


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三、表現の自由の限界

1 二重の基準の理論



表現の自由は、非常に重要な人権です。しかし無制限に認められるわけではありません。

憲法12条・13条では人権を公共の福祉で制約できることを規定しています。
そこで、表現の自由の限界は公共の福祉によって、どの程度制限されるのか、を考えなければなりません(第6章 基本的人権の限界一、人権と公共の福祉参照)。

表現の自由は精神的自由権です。
そこで、精神的自由を規制する場合の基準となるのが二重の基準論でした(第6章 基本的人権の限界一、人権と公共の福祉参照) 。

二重の基準論とは、精神的自由を規制する立法の合憲性は、経済的自由を規制する立法よりも、特に厳しい基準によって審査されなくてはならないという理論でした。

二重の基準論は、憲法を学ぶうえで重要な理論です。もう一度おさらいしましょう。

なぜ、経済的自由よりも精神的自由を規制する立法のほうが厳しく審査されるのでしょう。

この理由は2つありました。

1つ目は統治機構の基本をなす民主政の過程との関係でした。
2つ目は裁判所の審査能力との関係でした。


1つ目は、統治機構の基本をなす民主政の過程との関係です。

民主政の過程を支える精神的自由権は「こわれ易く傷つきやすい」権利です。したがって精神的自由権は裁判所がしっかりと守らなければならない権利なのです。

経済的自由は制約されても、精神的自由は制約されていないから、民主政の過程で是正できる。
精神的自由が制約されてしまうと、是正の手段がなくなってしまう。民主政の過程で是正できない。



2つ目は、裁判所の審査能力との関係です。

経済的自由の規制については、社会、経済政策の問題が関係することが多いのです。
専門知識を必要とします。

裁判所はそうした政策関係の専門知識がなく審査能力が乏しいのです。
よって裁判所としては、とくに明白に違憲と認められないかぎり、立法府の判断を尊重します。
裁判所は口出ししません。

済的自由に関する法律は、社会・経済政策の問題が関係することが多い。
裁判所は、社会・経済政策関係の専門知識がなく、審査能力が乏しい。
精神的自由に関する法律は、社会・経済政策の専門知識がなくても審査できる。



精神的自由については厳格な基準、経済的自由権については緩やかな基準が用いられることになります。

繰り返しになりますが、精神的自由権に対する規制は裁判所が厳しく審査します。

精神的自由権に対する規制を審査する厳しい審査基準として、次の①~④があります。

事前抑制禁止の理論
明確性の理論
「明白かつ現在の危険」の基準
「より制限的でない他の選びうる手段」(LRAの基準)

です。

裁判所は、これら①~④のうちのいずれかを用いて審査します。
これら厳しい審査基準とはどんなものか、それぞれ説明していきます。



2 事前抑制禁止の理論


事前抑制禁止の理論とは、表現行為を公権力に事前抑制されることは許されない、という理論です。

憲法21条2項では、これを確認する検閲の禁止を規定しています。

憲法

第21条
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


税関検査事件では検閲とは何か、を定義づけました。

税関検査事件(最判昭59・12・12)




検閲とは、

行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当とみとめるものの発表を禁止することである、

と定義しました。

判例は以上のように検閲を定義し、検閲を絶対的に禁止しています。検閲は公共の福祉を理由としても絶対に認められません。

税関検査事件では、税関検査は表現物が国外で発表済みであることなどを理由に、検閲にあたらず合憲としました。

ケンくん
ケンくん

税関検査事件は、検閲を定義づけたのと、税関検査は検閲にあたらない、としたわけね。

ゴッツ先生の解説
ゴッツ先生の解説

判例の検閲の定義は、覚えてしまいましょう。重要です。



裁判所における事前差止め行為は、主体が行政権でないため、検閲にはあたりません。

しかし、事前抑制の一形態となるので、判例は原則として許されないとしています。
北方ジャーナル事件は、事前抑制が例外的に許されるのはどのような場合か、を示しました。

北方ジャーナル事件(最判昭和61・6・11)




北方ジャーナル事件でも事前抑制禁止の理論が採用されました。

北方ジャーナル事件では、事前抑制は原則として禁止されているが、厳格かつ明確な要件のもとで例外的に許される、としました。

厳格かつ明確な要件とは、その表現内容が真実でなく、公益を図ることが目的のないものであることが明白であって、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときです。

ケンくん
ケンくん

北方ジャーナル事件では、出版差止めは検閲にあたらないことと、事前抑制は原則として禁止されているが厳格かつ明確の要件のもとで許される、ということを判示したんだね。

3 明確性の理論



明確性の理論とは、精神的自由を規制する立法はその要件が明確でなければならないという理論です。

法文が漠然不明確な法令は表現行為に対して萎縮効果を及ぼすので、原則として無効です(漠然性ゆえに無効の理論)。

ケンくん
ケンくん

萎縮効果って何?




萎縮効果とは、本来合憲的に行うことのできる表現行為をも、差し控えさせてしまうことです。

例えば、「社会秩序に反することを発言した者は、懲役5年に処する」という法律があったら人々はどうなるでしょう。
一体何が社会秩序に反するのか、漠然としていて不明確です。

自分の思っていることを自由に発言することができなくなってしまいます。
そうなると、人々は処罰を恐れて、何もしなくなってしまうおそれがあるのです。

これが萎縮効果です。

萎縮効果:もしも「社会秩序に反することを発言した者は、懲役5年に処する」という漠然不明確な法律があったら、人々は処罰を恐れて、何もしなくなってしまう。



法文が不明確なら無効ということは、法文の明確性を判断する作業が必要となります。

この点について徳島市公安条例事件では、不明確性の判断を、一般人の理解を基準とする、としました。

徳島市公安条例事件(最大判昭和50・9・10)
4 「明白かつ現在の危険」の基準



「明白かつ現在の危険」の基準は、表現行為の内容自体を規制する法律が合憲か違憲かを判断する際に使います。

「明白かつ現在の危険」の基準は、

①ある表現が近い将来、ある実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること、
②その実質的害悪がきわめて重大であること、
③当該規制手段が、害悪を避けるのに必要不可欠であること、

という三つの要件が満たされた場合にはじめて当該表現行為を規制できる、とする考え方です。

ケンくん
ケンくん

どういうときにこの「明白かつ現在の危険」の基準を使うの?



日本の最高裁が実際にこの「明白かつ現在の危険」の基準を使った判例はありません。

例えばですが、国家の転覆を企てて、国民に内乱を扇動するような表現行為を規制する場合に使えるとされています。


5 「より制限的でない他の選びうる手段」の基準(LRAの基準)



「より制限的でない他の選びうる手段」の基準は略して、LRAの基準といいます。

LRAの基準とは、まず規制の目的が正当かどうかを検討し、目的は正当でもその規制の手段は本当に必要最小限なのか、を検討するものです。LRAとは、Less Restrictive Alternativeの略です。それぞれの単語は、Less(より)、 Restrictive(制限的)、 Alternative(別)という意味です。

LRAの基準の例をあげます。ある人が自分が表現したいことをポスターにして貼っていました。
しかし、その自治体ではこうした行為は街の美観を損ねる、として禁じられてしまいました。

たしかに、そこら中にベタベタポスターを貼ることは迷惑を被る人も出てきそうです。
しかし、ポスターを貼ることを一切禁止してしまうのもどうかと思いますね。

こうした規制に対してLRAの基準を使います。
LRAの基準は表現の内容を規制するのではなく、表現の手段が規制される法律の審査基準として使われます。

このケースでは、ポスターの内容を規制するのではなく、ポスターを貼る、といった手段を規制されています。
この表現の手段の規制が合憲か違憲か、を判断するときにLRAの基準が用いられるというわけです。

美観を損ねる、という抽象的な理由でポスター貼りの手段が規制されるのはあまりに短絡的です。

ポスターを貼ることを一切禁じてしまうのでなく、ポスターを貼る場所を限定する、ポスターを貼るための掲示板を設置する、等のより制限の少ない他の手段があるではないか、と判断していくわけです。

この考え方がLRAの基準なのです。

LRAの基準を用いると、ポスターを貼ることを一切禁じてしまうのでなく、ポスターを貼る場所を限定する、ポスターを貼るための掲示板を設置する、等のより制限の少ない他の手段があるではないか、と判断することができる。

ケンくんノート

【まとめ】
第2部 基本的人権の尊重
第9章 精神的自由権2-表現の自由-
三、表現の自由の限界

1、経済的自由よりも精神的自由を規制する立法のほうが厳しく審査される(二重の基準論)。

2、
事前抑制禁止の理論とは、表現行為を公権力に事前抑制されることは許されない、という理論である。
検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当とみとめるものの発表を禁止すること、である。判例は、検閲を絶対的に禁止している。

3、明確性の理論とは、精神的自由を規制する立法はその要件が明確でなければならないという理論である。

4、 「明白かつ現在の危険」の基準は、
①ある表現が近い将来、ある実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること、
②その実質的害悪がきわめて重大であること、
③当該規制手段が、害悪を避けるのに必要不可欠であること、
という三つの要件が満たされた場合にはじめて当該表現行為を規制できる、とする考えである。

5、「より制限的でない他の選びうる手段」(LRAの基準)とは、規制の目的が正当かどうかを検討し、目的は正当でもその規制の手段は本当に必要最小限なのか、を検討するものである。


第2部 第9章 精神的自由権2-表現の自由- 三、表現の自由の限界 おしまい

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